
このページは1995年10月、2週にわたってオンエアーされたクロスFM福岡での
ジェリー・ガルシア追悼特別番組をテキスト化したものです。
おそらく日本では初めての
デッドヘッドによるGratefulDead特集番組と言えるでしょう。
番組の統括担当、並びに下記原稿の執筆は自他共に認めるDEAD HEADS in Japan
キャプテンヤンポこと、大神洋氏です。

1960年代はプロテスト運動の時代だったと言えるほど、公民権運動、大学紛争、平和運動、ブラックパワー、ウーマンリブ等々のムーブメントが起こりました。何かに反対したり、何かの活動をしているのが『トレンディ』な時代に、Jerry Garciaはこのような物事を一切意識せず、政治的な関心も持たず、それまで誰もやりもしなかった生き方を本能のように追求したのではないでしょうか。 当時、変化しつつあるアメリカの象徴といっても過言でははなかったのがスペイン系移民を父に持つハーフアメリカンであるJerom John Garcia、その人でした。
12歳の時、学校の担任が進めたジョージ・オ-ウェルの「1984」を読んで以来別の世界に入り込んだ少年Jerry Garciaは15歳の時にドロップアウト(何というかっこいい響きか!)し、学校や社会との
一切の関係を断ち切ろうとしました。この先生は他の生徒にも反××といった結構過激なことを勧めていたために後々学校をクビのなったそうですが。
さて、この時以来ガルシアさんの『ナニしない生き方』が始まりました。友達とたむろし、ギターを弾き、ロックを聞いたり,ハイになったり……。
ガルシアさんとギターとの出会いは1957年8月1日、15回目の誕生日でした。そして17歳で軍隊に入隊し、軍以外の社会や過去にケリをつけたJerryでしたが、9ケ月で除隊され、逢うべくして会ったRobert Hunter(デッドの作詞家)とフォークデュオを組みました。当時、ガルシアさんが育った街のコーヒーハウス、Polo Altoではこんな人たちが歌っていました。
Nick Gravenites(白人ブルースマン。後にマイク・ブルームフィールド等と活動する)
Janis Jopln(言わずと知れた、アノ女性です)
Jorma Kaukonen(後にJeffereson Airplane)
Paul Kantner(後にJeffereson Airplane)
David Freiberg(Quicksilver Messenger Service)
ガルシアさんは楽器屋でバイトをしたりKPFAのラジオのフォーク番組に出たりしていました。ある日映画を観に行き、若くて世間から外れていても成功を納められると直感したガルシア¥さんは、それまで使っていた箱ギターをエレキギターに持ち換えることにしました。
ナニモシナイ、エレキギター弾き達のバンドがスタートしたのは1965年。大金、成功、野望を手に入れる為にでも、生活の糧を得る為にでもなく、やだロックを24時間楽しむ為に、なんとなくメンバーが集まってきました。これがWorlocks。後にガルシアさんがGrateful Deadと名付けるバンドが動き出しました。当時のメンバーは………
Jerry Garcia
Bob Weir
Pigpen
Bob Mathews(後にデッドのエンジニアをつとめる)
Marmaduke(New Riders of Perple Sage)
楽器屋のバイト仲間、Bill Krewtzman
KPFAのミキサー、Phil Lesh
Grateful Dead………安楽死。Phil Leshの家にメンバーが集まった時に大きなオックスフォード辞典をめくっていたガルシアさんの目に止まった言葉。
彼はその言葉を見た時に何かとても奇怪で気味の悪い思いを感じたと語っています。が、好きな言葉ではないが、何かパワフルさを感じるということで、バンド名としてメンバーに提案しました。最初、他のメンバーは反対していたようですが、「グレートフルデッド」というバンド名はどんどん広がっていきました。
Jerry Garcia said
『ハイな状態だと、サウンドの一つ一つが宇宙のようになっていく。僕達はハイになって演奏することが何よりも大切だと思っている。音楽に対する意識がさらに解放され、音楽そのものが以前よりもっといろんな局面を持ち、他次元のものと感じるようになった。演奏していても、ある一つの感じ方、あるリズムのようなものが浮かんできて、まわりが海のようになり、そこに音が響きわたるという、魔法のような世界が浮かんでくる。LSDによって発見された別の世界のようだし、今まで思いつかなかったサウンドが生まれてくる。それをきっかけにして、また違った別のサウンドが生まれる。これをしよう、あれをしようと決めていく立場からは遠くなってしまっているのだから。』
LSDが自由に使えた頃ケン・キージー(カッコーの巣の上での作者)のアシッドテストを始めとして トリップの為のバンドさあり続けたからこそ、デッドサウンドの表現はこのようになるのだと思う。