|
『フォークソングin JAPAN』
だいたい『フーテナニー』って何だ?それは【言葉の綾】を待て。ということで今回はこのコラムのテーマである『フォーク』について考えてみよう。どうでもいいことなんだが、外国語が日本に入ってきたのはいいが、本来の意味を遠く離れることがある。音楽ジャンルしかり。フォークは言うに及ばず、ブルーズ、バラード(バラッド)などの多少入り込んだものから、身近なところではロックという言葉も、ナヌ?って思う表現をよく見かける。「ロックっぽいね」という字面から連想される80年代ホコ天な匂い・・・ああイヤだ!それは自分もそうだったから。てなセルフ突っ込みはいいとして、『フォーク』である。元来は、民族という意味であるからしてフォークソングといえばすなわち、民族音楽を指すのだ。実際のところかの有名なボブ・ディランもデビュー当時は民族音楽としての『フォーク』を伝承するシンガーだったわけで、体制批判の民衆歌(プロテスト・ソング)や古くからの言い伝え(バラッド)の若き語り部として脚光を浴びたのである。ところが『フォーク』が日本へ輸入された60年代、モダンなハーモニーを聴かせるキングストン・トリオやPPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)のヒットを機に『カレッジ・フォーク』なるブームが寸足らずのアイビーパンツを穿いた文系学生(軽音楽部)たちを席巻したのである。その後、高田渡などURC〜ELEC軍団は、あくまでも元来のスタイルのフォークソングをベースにしたものの、ヒットチャートは学生運動、同棲時代というダークで刹那な気分を反映して「三畳一間の小さな下宿」が『フォーク』の王道になったのだ。
しかしながらこの現象の善し悪しや功罪を論じるつもりはさらさら無いのであって、んなことより青春の悲哀をこれでもかというくらいマイナーなメロディーに乗っけたのが結果売れた。ということは、我々日本人の感性に合ったということ。大衆音楽ってのは理屈うんぬんじゃなくてもっと単純に楽しみたいものだ。いろんな角度から楽しむから興味が尽きず面白いのだ、うん。なんか尻切れですが、この項おわり。
文/森 裕史
|