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![]() ●文・構成/森裕史 |
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〜テキサスで毎年開催されるSXSW(サウス・バイ・サウス・ウェスト)に潜入取材〜 福岡空港から乗り継ぎ3回、トータル23時間にも及ぶ地獄のフライト。とにかく乗り物が嫌いなので、いつも通り機内では寝ない喰わない動かないという荒行。時差ボケと疲れでぐったり。しかし少し痩せたので気を取り直して空港から陽気な黒人が運転するタクシーで市街へ向かう。 街は意外とこじんまりしていて、一見、小倉や久留米といった印象なれどテキサス州の州都であり、街の中央部には立派なキャピトルが鎮座する風情はまさしくアメリカであります。宿にチェック・インした後、ブラブラしたのだが「音楽の町」と呼ばれるだけあってライヴ・ホールやミュージック・バーがあちこちやたら多い。強引に言やぁ、中洲のネオン街が、風俗店やキャバレーじゃなくそのまんま全部ミュージック・スポットになったとイメージしてほしい。こりゃ音楽ファンにはたまらない環境だ。 なんつっても感動したのは、コンビニにギターの弦が売っていたことである。さすが本場!それと、いわゆるH系の店は一切見あたらない。これは田舎だからじゃなく、どうやら条例で規制されているらしい。なるほど邪念が入らなくて良いね。 さて、なんで俺はオースティンに来ているのか。うむ、3月15日から19日にかけて、アメリカを中心に世界各国から集まった、約900組(!)のミュージシャンによって街中のあらゆるライヴ・スポットやバー、公園、キャンパスなどで演奏が繰り広げられるというとんでもないイヴェント、これすなはち世界最大規模の音楽見本市SXSW2000(サウス・バイ・サウスウエスト)を取材するためである。 この催しは基本的にミュージシャン、メーカー、プロダクション、メディアを対象にしたconference(年一回の会議)ということで、事前にしかるべき手続きをしておきますと、全会場フリーのパス(普通に買うと50,000円くらいするらしい)を支給される仕組み。渡米後、オースティンのコンベンション・センターで受付を済ませばトート・バッグに詰め込まれた膨大な資料やらプロモーション・グッズやら分厚いマニュアルを渡され、チェック、チェック。興味のあるヴェニュー(会場)へ目星をつけて足を運ぶわけですな。で、いいミュージシャンをがっちり発掘してくださいということ。 |
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俺の目的は3月17日のジャパン・ナイト。ロリータ18号、オリジナル・ラヴ、スプージーズ、ドクター・ストレンジラヴ、マミー・ザ・ピープショウらと共に、ナンバーガールが昨年に引き続き参加することになっている。ポリシックス、フィード、トモフスキー、パフィーらが予定されている翌18日のソニー・ナイトも行きたかったが、エア・チケットの都合で断念せざるを得なかった。ちきしょう。
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何軒かヴェニューをハシゴをするうちにフェスの様子も見えてきた。パンク〜オルタナ系のライヴは、ジャパン・ナイト含めどこも人気で、そこいらが多く出演していたEmo'sやLucy'sといったホールはプレス・パスを持っていてもなかなか入場できない。観たいけど寒いし並ぶのも面倒なので、無名で渋〜いアメリカン・ロックやフォークをやっているガラガラのホールにとりあえず避難して一杯。しかし、いかにもくたびれた、だだっ広い店で聴く大陸音楽は得も言われぬ味わいがございます。そいでまた、演奏がいいんだな、これが。何がいいって、うまく説明できないけれど、これぞアメリカ南部!って感じか。レコードを聴きながら思い描いた風景が今、眼前に・・・。
さて、昼間は何をしておるんだ、といいますと、イベントの中枢となっているコンベンション・センターへと繰り出す。大ホールで開催されているトレード・ショウには楽器だのパソコンだの、音楽関連の企業ブースが多数出店しておりまして、ここでも大量のプレゼン・グッズを手に入れられる。最高にラッキーだったのは、スティーヴ・キーン(ペイヴメント、アップルズ・イン・ステレオ、カプセル・ジャイアンツなどのジャケットで有名なイラストレーター)の作品がプロモーション・グッズとして山積みになっていたので、許可を頂きごっそり持って帰れたこと。当然、読者さんにもおすそわけします。別のホールでは、ジョン・ケイル(元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのメンバー)がパネラーで参加しての<スターリング・モリソンを偲ぶ会>をはじめ、パティ・スミスの公開インタビューや業界重鎮によるミュージック・シーンについてのパネル・ディスカッションなどが用意されてましたね。 |
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| そんなこんなで2日間がアッという間に過ぎていよいよ3月17日が到来。ジャパン・ナイトの会場はJAZZ
BON TEMPSというヴェニュー。天井はそんなに高くないが、面積はドラム・ロゴスほどあったかな。けっこうな広さだ。ナンバーガールは4番手、夜11時からということで、出演までに摂取されるメンバーの酒量が気になるところだが、いまさら遅いのでせめて俺はシラフで頑張ろうと誓いつつカメラとフィルムのチェックは怠らなかったが、間抜けなことに、腹が減ってバーガーを喰っている間に入場規制されていたので、マミー・ザ・ピープショウとドクター・ストレンジラヴには間に合わず、スプージーズからの観戦となった。宇宙服のような揃いの衣装で印象深いキーボードとエレキ・ギターが効いたモダン・テクノ(?)でなかなかのウケを取ったスプージーズを見終わって気が付くとポリシックスの面々が参上しておりました。
さて、次はナンバーガールの出番。メンバーがビール片手にもそもそセッティングを始めると、気のせいか客が増えているような・・・そうか、昨年も参加して大喝采を受け異例のアンコールまでやったんだったな。噂が噂を、ってやつなのね。セッティング終了後メンバーは一旦楽屋へ。 しばしBGMタイムをはさんで照明がステージを明るくすると同時にメンバー再登場、会場は歓声、向井氏はビールをグッと呑み込んで「ドラムス!アヒト・イナザワ!」。日本とまったく同じパターンでライヴはスタート。それにしても、日の丸を背に激唱する向井秀徳・・・ハッキリ言って怖い。シャレにならん。ライヴの出来はと言えば、やっぱり(?)呑みすぎなのかラフな感もあったにせよ、いつも以上の気合いで米国観衆を圧倒した。フレドニアでレコーディングしたばかりの新曲披露はなかったものの、ラスト『はいから 狂い』まで約 30分の爆走。向井氏はいつの間にか足下に日本酒を用意しておりビールは日本酒へと進行、曲間には意味不明の英語を連発。観客 の笑 いが薄かったのも日本と同じだった。
ライヴ終了後、中尾憲太郎25歳は目当てのバンドを観にほかのホールへ移動。残った3人と我らスタッフは後方でロリータ18号とオリジナル・ラヴの熱演を堪能しつつ、美酒を流し込むも、気がつけば深夜2時。おっといけない、あと4時間で帰国のフライトじゃないか。宿に戻って少しでも寝ないとな・・・。 あ〜しかしオースティンは遠かった。せめて来年は久留米あたりでやってくれないもんだろうか・・・。(読者のツッコミ待つ!) |
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