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- 【レコードを買いに】
1960年頃はコンポやステレオが有る家は日本に何軒有ったんだろう。
大げさな言い方に聞こえるかも知れないが、ハンドルでゼンマイを 捲いてターン・テーブルを廻す「蓄音機」がまだ有った時代だ。ジュークボックスのような大きな箱の上部に、木目の上部に電気駆動のターン・テーブルの有るレコード・プレーヤーがでんと構え、下に30センチ位のスピーカーを備えた「デンチク(電気蓄音機)」もハバをきかせていた時代、ポータブルプレーヤーも高根の花だった。
「ステレオ」と書いて有るレコード・ジャケットの言葉を体感できる日は、僕の家にはまだまだ来そうにない。
レコードを聞く為の機械、現代では「ハード」といっているものが、 この程度の時代にも、当然レコードは有った訳だが、SPレコードからLPレコードに移行しつつある頃だった。この数年のうちにレコードか
らCDへ移行していった事は「良くない事」がたくさんあるが、LPレコードの出現は「素晴らしい事」ばかりだった。SPは毎分78回転の レコード盤で、雑音が多く、厚くて重たいくせ割れ易いものだったが、ロックンロールのレ
コードもSP盤で販売されていた時期が有った。 レコードは、アルバムと言われる30cmLPレコードと17cmシングル・レコードが大半だったが、シングル盤から数カ月遅れで学生価格(?)で発売される通称コンパクト盤と言われた4曲入り17cmEPレコードというのもあった。
前置きが長くなったが、当時のレコードの買い方を紹介しよう。シン グル盤1枚330円、LPレコード1500円〜2000円。レコード屋さんは、まさにヒット曲の宝庫だ。その中から1枚から3枚のシングル盤しか買えないだけの千円札1枚しかポケットには入ってていない。それが一か月の小遣い全額だった。
レコード屋に行く前から「ビーチ・ボーイズのサーフィンU.AS.Aを買う」と決めている場合は、ついでだから二・三枚(多分、プレスリーのリターン・トゥ・センダとロネッツのビー・マイ・ベビーあたり)かけてもらって「これください」と言えばいい。しかし一枚一枚ジャケットを見ていく内に「デイブ・クラーク・ファイブのリーリン・アンド・ロッキンも欲しい、スウィンギン・ブルー・ジーンズのヒッピ・ヒッピ・シェイクも出ていたのか」と思い出したらもうドツボにはまってしまう。
「サティスファクションのB面をかけて」、「アニマルズの炎の恋を 聞かせて」が三・四回続き、「すいません、これもちょっと」と言葉つきも変わっているというのに、3枚にすら絞りこめず、、店員の冷たい視線を感じながら、ついには「こっちのほうが演奏時間が長いから・・・」とかいう変な理由で選ぶ事も再三。買うのか買わないのかと迫られる事もよくある事だった。レコード屋さんの店員と仲良くなっていれば、まさに無料ジューク・ボックスを堪能できるのだが、当時レコード屋さん小さな店が多かったから、しぶとい親父だったり、おばさんが店番だった。なかなか友達になってくれるような環境ではなかった。店内に飾ってあるLPレコードを眺めては、欲しいなあと思うのが関の山で、LPレコードは大人が買う物なんて思ってもいた。それでも、欲しいアルバムは増える一方で、その解決方法として、アルバイトと思うのだが、中学生じゃそう簡単に仕事があるはずもない。やっとの思いで手にいれたLPレコードは「ミート・ザ・ビートルズ」だった。また「ヴェンチャーズ・ノック・ミー・アウト」も早い時期に買った衝撃的なアルバムの一枚だった。
アルバムを買うという事は、下手すると数枚のシングル盤を手放すという事も意味していた。高価買い取りのボンタン・ラインはもちろん口田商店すら無い時代だったから友人の口コミで買い手を探すのだが、二百円前後で買ってくれていたから今思えばけっこう良い値段であった。
でも、もうそれらのシングル盤は二度と僕のところへは帰ってこなかった。レコードは聞く物、持っておく物であって決して売る物ではないと解るには相当の年月を費やすのだった。
とにかく、物価から換算していくと、現在のCDは安い。レンタルCDとか利用せずに、良いと思ったら買いなさい。買うほどのことはない音楽が氾濫していると言われると、それも真実なのだが、後で「しまった」と後悔するよりはずっといい事だ。買ったCDを何年も後に聞き返すとと新しい発見にも出会える事になるから、買って持っておきなさい。

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