エレキ・ブーム真っ盛りの頃の僕の好きだった曲を何曲か上げてみよう。
Movin'(太陽の彼方に/Astronauts)
Wipeout/Surfaris
Sippin''n chippin'(真っ赤な太陽/ T-Bones)
Ajoen ajoen(心のときめき)/ウイリーと彼のジャイアンツ
Diamond head/ Ventures
空の終列車/ Spotnicks
Bombola /Atlantics
地獄のカクテル/Shadows
モスコウ・ギター/Fabulous Jokers
ベンチャーズやアストロノウツに代表されるエレキ・ブームが大流行した頃、サーフィンという言葉も流行ったが、この時はダンス・リズムと思って欲しい。どんなダンスかと言うと、ちょっとマカレナに似ている。今のように海で「波乗り」をする人はわが国ではほとんどいなかったと思って良い。アストロノウツの「太陽の彼方に」をカラオケにして日本語の歌詞をつけレコードを出した田川譲ニという歌手もいたほどたくさんのカバー・レコードが発売される大ヒットとなった。
「心のときめき」は日本中で流行ったかとは言えないが、福岡においては40代後半以上の人は「あーっあれか」というほどのスタンダードナンバーだろう。
KBCラジオの夕方の番組「ドライブ・イン・ミュージック」(小城まさひろアナウンサー)でテーマ曲として毎日流れていたため、大ヒットした曲だ。
スプートニクスも博多二度やって来たエレキ・バンドだが、福岡市民会館のステージでは例の宇宙服を着てあらわれ、スペース・サウンドを満喫させてくれた。68年2月のコンサートでは途中、楽器のトラブルで、ボ・ウインバーグとボフ・ランダーの二人が一本のギターを、ちょうど二人羽織のように弾いた。この時は目が点だった。
テレビは「ザ・ヒット・パレード」の日本語翻訳ポップスをしかたなく見ていたけど、1965年8月に始まった「勝ち抜きエレキ合戦」には心のときめきを覚えながら見たものだ。
鈴木やすしの司会で、アマチュアエレキバンドが登場し,腕を競い5週勝ち抜いたらチャンピオンになる。この番組に登場したアマチュア・バンドの中からレコード・デビューを果たした幸せものは、成毛滋のフィンガーズだ。
他のバンドがベンチャーズ、アストロノウツ、スプートニクスのコピーばかりというのにオリジナル(インスト)を演奏するというカッコいいとこを見せていた。後に日本のジミー・ペイジとなる彼はロック・フェスの起爆剤となった1969年のWoodstockを見た唯一の日本人でもある。
日本全国津々浦々からエレキを抱いたギター小僧(今ほど若くはなかったが)が「勝ち抜きエレキ合戦」のステージを目指していた。なにせ、同じ町内の肉屋のあんちゃんが出て、ベンチャーズの「ストップ・アクション」を結構かっこよくやっていた。正直言って見る目が変わった。
君のそばにも「俺も、出たっちぇ〜。エルクのエレキば持ってからくさ」なんて言い出す親父が、絶対いるだろう。
「エキサイト・ショウ」という番組も、少し遅れて始まった。この番組には井上宗孝&シャープ・ファイブ、安岡力也のいたシャープ・ホークスがレギュラーで出ていたが、後に日本のジャニスと言われた(?)麻生レミもよく出ていた。これらの番組は、勝ち抜きのど自慢のエレキ版であり、世代が変わって「いかすバンド天国」として蘇ったと思っているオジさんも多いはずだ。
商店街のイベント、夏祭、花火大会・・・何は無くともエレキバンドはある。
猫も杓子もという言葉があるが、まったくその通り。エレキをやっていたのは大学生や社会人が多かったんだろうが、下は小学生もデケデケデケデケにはまっていた。アストロノウツの「太陽の彼方に」が火をつけて、ベンチャーズの「ダイアモンド・ヘッド」が油を注いだんだろう。もちろん、博多にも「アメリカの電気ギターの王様」達はやってきたし、ワイプアウトのサファリーズや夜空の終列車のスプートニクスなんかも博多にきた。
アメリカの電気ギターの王様ヴェンチャーズの当時の九電記念体育館でのコンサートというと、ステージにはドラム・セットと2台のギターアンプ、1台のベースアンプ(最初はグヤ・トーン)だけ。ギターアンプをパイプ椅子に載せていた事もあった。4000人ほど入ろうかという会場で、それだけで、それでもエレキサウンドは凄い、カッコイイって感じていた。
PAの洗礼までまだ道は遠い。ドン、ボブ、ノーキー、メルがお決まりのメドレーを始めるや、わくわくし、リムショットに感激し、アンコールのキャラバン'65のドラム・ソロの見せ場「今は亡きメルのスティックでのベースソロ」が終わるまで、テレビのエレキ合戦では感じられないホンモノを見られるんだから。もちろん、モズライトに憧れていた事は言うまでもない。