キングスネーク伝説

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Legend of KingSnake

【HOUSE OFFICE】

福岡で最初の音楽マニアの手でスターとした夢実行委員会はイベンター「夢本舗」として、福岡の若者に数々のミュージシャン達を紹介してくれた。
「夢本舗」はサンハウスのデビュー以前から、彼らの良き協力者であり、間もなく彼らのマネージメントを行うようになった。
夢本舗の一人、つる田がサンハウスの、目立ちすぎるマネージャーとして頑張っていたが、夢本舗の他のメンバー達は目に見えないところでサンハウスに、ロックスターへのレールを敷設して行こうとしていた。
デビュー以前のサンハウスのツアーでは、サブちゃんが誰よりも早く起きてトラックで楽器を運搬して行き、サンハウスが会場に到着するまでにセッティングを終えていた。
Dレーベルとしてサンハウスのデビュー・シングルを制作したとき、東京でのレコーディング費用、レコード・プレス費用をねん出したのも夢本舗のみんなのサンハウスにかける想いと努力の賜物だった。
しかし、案の定と言っていいのか、サンハウスは三枚のシングルと二枚のアルバムを発表し、二度の日本縦断ツアーを敢行した後も、ロック・バンドとしてカッコ良くやっていくだけの金は手に入らなかった。
やがて、つる田はサンハウスや夢本舗の前からいなくなり、夢本舗はサンハウスにこれ以上の時間と経費を提供出来ないところまで来ていた。
地方都市でロック・バンドを育てていく事は並大抵ではない根性と金とを必要とするものだった。篠山、そして坂田、奈良のサンハウス離脱が如実に物語っている。
サンハウス・ファンは何も女子高校生ばかりではなかった。バンドをやっている連中もサンハウス・フォロワーがいた。
その最たる者が現在の山善こと山部洋之が率いる田舎者だった。
田舎者のクラス・メートであり、彼らのマネージメントをしていた松田は夢本舗で働く事となり、74年春からサンハウスのローディーとして、つる田のもとで頑張っていた。
やがて、つる田のマネージメントが破綻を来たし、サンハウスと夢本舗に多大の衝撃を与えるのだが、それからしばらくして、77年の初めに松田はサンハウスのマネージャーの肩書きと四人のメンバーだけで、夢本舗から独立する事となった。
松田和夫は、ローディー井威郎らとサンハウスの事務所として「HOUSE OFFICE」を設立して、心機一転新しいスタートを切った。
サンハウスのコンサートやツアーマネージメントはもちろんのこと、経営して行くためには映画上映のイベントさえ行ってサンハウスの為の金稼ぎの仕事もしていた。
この頃、柴山、鮎川、なら、鬼平達はつる田マネージャーの時以上に、松田と仕事の事やロックの事、将来のサンハウスについて語り合った。
君達の中にローリングストーンズのファンは多いだろうが、アンドリュー・オールダムがどんな人だったのか、知っているだろうか?。
ストーンズの最初のマネージメントのみならず、レコードのプロデュースまでやっていた男だ。
僕は、彼のマネージャーとしての手腕は僕には判らないが、レコードプロデューサーとしては
「お前くさ、せっかくあげなミュージシャンがおって、何であげなレコードしか作りきらんやったとや」
と大声で言いたい相手としか思っていないのだ、今だに。
僕は、ストーンズは大好きだが、初期のモワモワッとしたサウンドや「うそっ」としか言えないようなライブ・アルバムの作り方は絶対に好きになれない。(初期のストーンズのレコード、ライブ・アルバムというのはEP「We want Stones」と「Got live if you want」だ)
これ以上細かい事は書かないが、僕が思うに、これこそ松田とアンドリューの決定的な違いだ。
僕は、アンドリューはストーンズのサウンド作りよりも、絶対に金作りを最優先していた思っている。
サンハウスは、松田も含めてだが本当に熱心に、ロックを語り合ったのだ。
どうしたら、ギンギンの、かっこいい、最高のロックをやれるか。
篠山が抜けた後のサンハウスは四人で続けることになったからかも知れないが、彼らは真剣勝負のロックをやる事を考え、そして実際に本物のロックをやっていたのだ。
長い間、大好きなサンハウスのローディーとしてライブの現場でサウンドに気を配っていた松田がサンハウスのレコーディングをプロデュースしていたら、きっといいアルバムが完成するはずだ。
ウッドストックに端を発する大がかりなロック・フェスティバルの影響と思えるロックフェスティバルは、ぼちぼち姿を変えつつあった。
広い会場に何組ものミュージシャンが出演するコンサートは減っていき、売れに売れた有名バンドが広い会場でワンマンコンサートをする時代へと移りつつあった。
この時代の移り変わりは、サンハウスにとってプラスにはならなかった。
と言うよりもサンハウスはストーンズのように体育館のステージを走り回るようなライブは似合わなかったし、彼らもそんな事よりもギンギンの、かっこいい、最高のロックを演奏することしか考えていなかったに違いない。
サンハウスの仕事はライブ・ハウスでの仕事が中心となり、以前のように広いステージでのプレイは少なくなってきた。 「HOUSE OFFICE」のスタートは順風漫歩と言うにはほど遠いものだった。

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