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- 【ヤング・ポップス】
その頃、僕の音楽熱を高めるのはラジオだった。
流行っている曲はラジオをつけっぱなしにしておけば聴けたが、これから流行そうな曲とか日本では流行そうにないがかっこいいロックを聴くにはFEN、いわゆる板付放送の深夜の番組だった。DJは英語を喋るから意味はほとんど理解できない。“イッツワンノクロック、ナンダカカンダカ、フロム、イタズゥケ”というアナウンス、そして曲名とかアーティスト名くらいは解った。
他に聞き取れるのは「サン・フランシスコ」「ベイ・エリア」「ハイト・アッシュベリ」などだったが、サン・フランシスコ以外は初めて聴く言葉だった。 サイモン&ガーファンクルのじゃない、ロックにアレンジされた「59番街橋の歌」もFENで聴いた。
ダブル・ライブ・アルバム「ライブ・アドベンチャーズ・オブ・アル・クーパー&マイク・ブルームフィールド」というLPが有るらしい。福ビルのヤマハ(日本楽器)へ行って輸入盤を注文した。船便(一か月半)と航空便(十日)があるらしい、もちろん航空便で注文した。
ヤマハから電話があった。ヤマハへ行くと六千円だ。内金千円入れていたから、五千円払って、輸入盤って高いなぁと思いながらも、日本盤が発売されていなくても好きな曲を聴く事が出来る快感にはまってしまいそうだ。
ジェファーソン・エアプレーン、ドアーズ、クリーム、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス、ヴァニラ・ファッジ等などが雨後の竹の子のように出てくるロック黄金時代が訪れようとしていた。そして僕もその坩堝に入って行こうとしていた。
当時、新しいレコードはいっぱいあってもなかなかおいそれと買えるものではない。どうしてもラジオで聴く方が多いそのためには聴きたい曲を書いたリクエストはがきを出すのだ。
KBC九州朝日放送の「ヤング・ポップス」という番組がお気に入りだった。 放送時間も何度が変わったし、DJも(敬省略)今地正幸、渡久山巌、ピアノを弾きながらディスク・ジョッキーをする永井豊、松井伸一と何人か変更があった。た。中でも、現クロスFMの松井伸一編成副本部長の時間は当時いちばん新しいニュー・ロック、アート・ロックと称されたいちばん新しいロックが目白押しだった。(期間的にもいちばん長かった。1967年から1971年)
他の三人のD.Jの「ヤング・ポップス」とはファンも違っていた。「ヤング・ポップス」が
終了して十数年後に、「やっぱ、博多のロック・ファンはあれで育っとうちゃね」
「誰やったかいな、名前は忘れたばってんロックばっかりかけよんしゃあ人、あの人ん時ゃ
よお聞きよったねぇ」
と当時をふりかえるロッカーがたくさんいたのには驚いた。
それが松井伸一氏の「ヤング・ポップス」だ。
LPレコードが当たったり、ドラム・セットも当たるというおまけもあって、せっせとリクエストはがきを出していたら、リクエストした曲をかけてもらえただけでなくLPレコードも当たった。
僕にもドアーズのファースト・アルバムが郵送されてきた。
やっぱり、ニュー・ロックはチガウ。

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