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- 【Jokers】
1964年から65年にかけて、博多のあるダンス・ホールに時を同じくして、二人の高校生が出入りしていた。エレキに魅入られてバンドを始めたら、当然の如くどこかで演奏したくなるのは当たり前の事、そしてアルバイトになるのならなおさらの事だと、坊主頭に帽子をかぶってギターを弾いているのは笠原という少年だった。ジョーカーズというその名の通りベンチャーズ、シャドウズのコピー・バンドのリード・ギタリストだった。
もう一人の高校生は、中学の頃からやくざになりたいとか本気で思っていた。角刈りにスリー・ピースのスーツを着て、チンピラと一緒にダンス・ホールに行っていた。よその高校生も目を合わさないように避けられていたほどで、後年、同級生だった男が「あげな悪そうとつき合っているのか」とあきれるほどのものすごく不良だった柴山俊之だ。
ある日、柴山はギターを弾いている同級生に気づいた。笠原も柴山に気がつき、しょせん二人とも学校から禁止されているダンス・ホールに出入りしているのだから、話しをする内に二人とも友達になった。
ジョーカーズの連中は女にもてていたが、チンピラの子分の柴山はもてなかった。バンドの演奏が終わった後、ダンス・ホールで一緒に話していると、ジョーカースの周りには女性が自然と寄って来るのだ。チンピラよりバンドのほうが絶対女の子にもてると思った柴山は自分もバンドに入ってもてたいと思うようになった。しかし、彼は楽器ができないし、ポピュラーよりも歌謡曲を聞く事が多かったから、ダンス・ホールのバンドで歌えるような歌も知らないのだ。
しかし、バンドに入って女の子にもてたいという願望は強かった。楽器のあとかたづけの手伝いとかをしながら、柴山は笠原にバンドで歌わせてと言った。「いいよ、これ覚えて来たらいいよ」と言って、笠原は紙にメモをして手渡した。Ray Charlesの”Unchain my heart"とLittle Richardの"Send me some lovin'"の二曲の曲名が書いてあった。
柴山は家でレコードを聞き、この二曲を覚えてバンドの練習も始めて、ステージでも歌うようになった。笠原もそれまでやっていたインストのコピーよりもボーカルが入っている方が楽しくなって、二曲のレパートリーを一日に何回もやっていた。そうこうする内に女の子にももてるようになって、曲をもっと覚えろうと思った。
不純な動機のように思う人もいるかも知れないが、バンドなんてそんなものだ。もし、柴山がもてたいと思わなかったら「キング・スネーク伝説」ではなく「実録・博多のヤクザ伝説」になっていただろう。
レコードを聞いて新しい曲を覚えるほど小遣いもなかったから、店で先輩歌手の歌を聞いて新しいレパートリーの練習をしていた。先輩バンドとは、エディ太とブルー・ジーン・ロッカーズ、サミー香川とナイト・トレインズだったが、彼らはものすごく上手かったそうだ。
ジョーカーズのタイバンで、後に小倉で活躍した「シンデレラ」がいたが、彼らの影響でSpencer Davis Groupの曲をレパートリーに入れるようになった。
ジョーカーズは高校生バンドだから、数日おきにホールで演奏していたが、九電体育館やキャバレーで日曜日とかに開催されるダンパに出演することが多くなった。しかし、柴山はジョーカーズの正式なメンバーではなかったから、ゲストとして歌っていたので、毎回ステージに立つという事ではなかったが、1966年に彼らが高校卒業後もしばらくジョーカーズと柴山の活動は続いていた。

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