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- 【キース】
Keithではなく、キースとは高校を卒業した柴山と笠原が作ったバンドの名前だ。
ダンスホールは彼らが高校生ではないから、専属で雇ってくれるから、オーディションを受けようとして、メンバーを探していた。
ジョーカーズとして慕情で歌っている時、よく通っていた中学生のバンド-King Kong-が、一度ステージで演奏させてくれと言ってきたので、軽い気持ちで演奏させた。彼らがYardbirds,Zombiesといったジョーカーズが知らない曲を、しかも、ジョーカーズもかなわない程の演奏をした。
そのバンドに柾木という男がいた。キースを作ろうとしていた時に、街で偶然柾木を見かけて、バンドに誘ったら快く引き受けてくれた。キース結成に際して、柴山はドラムを叩きたいと思っていたのだが、柾木がドラマーを連れてきたから、結局ここでもボーカルを続ける事になった。
- 柴山俊之:V
笠原 :G
柾木たかし:B
溝口:Ds
このメンバーでバンドの名前をキースとしてキャンプ廻りとかを始め、ダンス・ホールのオーディションにも合格し、「慕情」、「赤と黒」で歌い始めた。キースは、Zombiesの "Tell her no"やYardbirds,Troggsあたりをやっていたが、後期にはJethro Tullもレパートリーになっていた。
ある夜、彼らが出演していた店に、サックス・プレイヤー Sam Taylerと彼のバンドのドラマーが遊びに来た。Sam Taylerと言っても今では誰も知らないだろうが、50年代にはR&Bバンドで活躍していたのだが、60年代には「ハーレム・ノクターン」、「暗い渚のブルース」といったムード音楽の第一人者となり、ひいては「歌のない歌謡曲」でちょこちょこ来日していたのだ。 その夜、キースは彼らとセッションをする事になった。 店の人間はこの記念すべきセッションの写真をとりまくった。そして、その写真の一枚がナイト・パブのポスターとなってしまったのだが、当時のキースとしては大きな声で話せる話しではないと思っていた。
キースは、テレビ番組「ヤング720」、「ティー・タイム・ショウ」(二回)に出た。"I'm a man"を歌ったが、二曲めは番組からの指名で博多どんたくの歌「ぼんちかわいや」を歌わされたそうだ。メンバーはカメラの前で演奏していたが、柴山は恥ずかしかったのでアンプの陰に隠れて歌ったと言うほど、ものすごく恥ずかしかったそうだ。その後、キースが出演していた「慕情」の看板に「ラジオ・テレビでお馴染みのキース出演」という看板が立った。今も、よく見かけるがキースはミュージック・ライフにも写真入りで紹介された事もあった。
グループ・サウンズ華やかかりし頃、ゴールデン・カップス、カーナビーツのジョイント・コンサートの前座もしたが、グループ・サウンズのスカウトも断り、サイケの時代、ニュー・ロックの時代に、ひたすらロックを追い求めていたバンドだったと言ったら、メンバーや当時の中洲のバンド関係者からは大げさだと笑われるかも知れないが・・・。
キースの柴山はロバート・プラントが好きだと言わんばかりのスタイルで天神を闊歩していたし、かなり目立つ存在だった。僕も柴山と同じ大学だったから、たまに学食前のロビー(の様なところ)でブルース・ハープで遊んでいる彼を見る事もあった。そんな時、どこからか「あっ、キースのボーカルやないや」と言っている小声があちこちから聞こえてくるほどユーメイだった。
キースのサウンドはと言うと、ダンス・ホールで飲んで、踊りながらでしか聞いていなかったから、細かい事は思い出せないが、りっぱなダンス・バンドだった。まだ、国内盤が発売されていない曲を演奏する時などは、「もう、あの曲を」と思ったし、ヒット曲ではないのにかっこいい曲をやったりすると、さすが・・・と思ったりもした。
キースはカバーだけでなくオリジナルもやっていた。
この事は、彼らのファンでもあった鮎川誠も憶えているほどだから、粒揃いの曲だったのだろう。「ロンリー・ガール」「ヨット」「風よつたえて」「白い涙」「小さな部屋」「森の泉」の六曲だが、詩は全て柴山、作曲は笠原.ただ「森の泉」は柴山の作曲だった。 RUbyの三枚目のCD"Voiller"の中の一曲「オレンジ」の原曲は「森の泉」。三十年の歳月を経て幻のキースが蘇るのだ。
キースは笠原が、大学卒業した68年の終わりに解散した。柴山は、キース解散後、他のバンドから誘われたが、その気にさせてくれるバンドはなかったので、車の免許を取って家業を手伝っていた。CD屋に行けば、どうでもいいようなCDが国内盤、世界各国の輸入盤で腐るほどある現在の事しか知らない人には想像もつかないだろう。 30年前、福岡でロックの輸入盤を置いていたのは、日本楽器・福岡店だけだった。 それも、ほんの少し。レコードを入れた餌箱一列も無かった。70年代に、やっと五・六列になったが、その中の大半はビートルズ、ローリング・ストーンズか大ヒット曲を出したバンドのレコードで占められていた。
そんな時代にキースに限らず、ハコバンは国内盤レコード発売前に、知られていない良い曲を演奏し、歌う事に命を掛けていたのだ。

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