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- 【出会い】
鮎川は高校時代からアタックという博多のバンドに憧れていた。
ミリタリー・ルックのユニ・フォームを着て、当時スタイルだけでなく演奏ピカイチのハコバンだった。鮎川は、大学に入ったのもバンドしようという隠れ蓑みたいなものだったと言っている。アタックのメンバーだった平野という友達の誘いで、憧れの篠山哲雄とバンドをしたくてウズウズしていたのだ。
鮎川は、九州大学農学部に入学した。入学式が終わるとその脚で、中州のダンス・ホールへとアタックが出ている店を探しに行った。ところが川端通りで、バンドの演奏が聞こえたので覗いてみると、キースだった。凄いバンドと思ったそうだ。鮎川と柴山はお互い気づきもしなかっただろうが、この時が二人の出会いだった。
篠山、鮎川、平野等はバンドを結成し、「ハニー・ビー」というダンス・ホールにハコで入った。この時のギャラは5人で23万円だった。本当は46,000円づつ分けるところをベースには一人38,000円と言って、四人は48,000円取っていたが、ばれてしまってベースがバンドを辞めたそうだ。「プレイ・メイト」(一流の店)のギャラが50万とか100万とか言われていて、それがハコバンの目標みたいなものだったのだ。
その年の秋、キースを解散していた柴山に、アタックの篠山哲雄からバンドをやろうと誘いがあった。クラブ蘇州のパーティーで一度だけやった。柴山は面白いバンドになりそうになかったので、一晩限りで辞めてしまった。この日というのが、須崎ウッドストックの初日だった。クラブでの演奏を終えた彼らは須崎公園へと向かったが、彼らが着いた時にはコンサートは警察の手により中止させられた後だった。
その後、柴山はアタックのベーシスト、平野よっちゃんの家に遊びに行った。 そこには、小さなアンプで、もの凄くヘンな弾き方でギターを弾いていた男がいた。すごい奴だと思った。マディ・ウオータースの曲だった、(音楽とは無関係だが)外人のような顔しとうし、凄い人だと思ったというのが、柴山の鮎川の印象だ。
しかし、鮎川の記憶では、平野の家で新しいバンドを作ろうと相談していた時に、ボーカルを柴山にしたいと電話をかけたので、柴山がやってきたそうだ。(三十年も前の話しだから、どっちも正しいのだ。二人の記憶を総合的に判断して想像して下さい)
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